尾長三つ巴 聖徳太子御廟所上之太子 叡福寺

聖徳太子1400年御遠忌大法会

聖徳太子とは

聖徳太子が残した思想と足跡は、その後の日本人の生き方と考え方に、大きな影響を与えました。


日本人の心の原点・聖徳太子



聖徳太子摂政像

聖徳太子が制定した「十七条憲法」は今日でもなお新鮮さを失いません。
「和」の精神は世界が今最も必要としている思想です。

聖徳太子は敏達元年(574年)、飛鳥の地に誕生され、20歳で伯母である日本最初の女帝推古天皇の摂政となり、32歳の頃(推古12年)には日本最古の憲法「十七条憲法」を制定されました。
第一条は「和をもって貴しとせよ、忤うことなきを宗とせよ」という有名なことばから始まり、第二条「篤く三宝(仏、法、僧)を敬え」と続き、仏の教え(法)のもとに自己を尊重し、信念を持って他人と人間性を認め合う「和」の精神を示されました。 また、第十条には「われかならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず」と、人間はみな平凡な存在なのだから重要なことは対話を通じて真理に近づけて決めようという対立融和を説き、人間社会のすすむべき道を示されました。
それらの「和の精神」は1400年たった今でもいきいきとした、人間の憲法です。
また、仏教精神を礎として理想的な国家や社会組織を築こうとされた太子は、三経(勝鬘経、維摩経、法華経)の経典講義である三経義疏を著されました。 人間の生き方や尊い命、その責任などについて、世界万国に通じる普遍的な人間生活の基本となるものを説かれ、身分にとらわれない「冠位十二階」の実践、さらに遣隋使を派遣するなど、この国の礎をつくられたという偉業から「和国の教主」として崇められ、日本人の心のよりどころとして存在し続けています。