聖徳太子1400年御遠忌慶讃 ご来山の皆様へ令和3年4月7日更新
叡福寺は、推古天皇30年(622年)旧暦2月22日(太陽暦4月11日頃)、太子が49歳で薨去された後、前日に亡くなった妃 膳部郎女(かしわべのおおいらつめ)と、2か月前に亡くなられた母 穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后と共に埋葬され、推古天皇より方六町の地を賜り、霊廟を守る香華寺として僧坊を置いたのが始まりです。
神亀元年(724年)には聖武天皇の勅願により七堂伽藍が造営されたと伝えられます。
御朱印帳
お守り各種
数珠
祈願札
令和3年3月の写経会は法会準備のため中止致します。
参加を希望される方は、
寺務所へお問い合わせください。